コータローの夢と理念について

はじめに

今から公開するのは、2024年にライティング・ギャラクシーというコミュニティの合宿中に起きた、自動書記で僕が実際に書いた文章である。

自動書記とは、考えながら文字を打つわけではなく、エネルギーが満ち満ちた場で手が勝手に動くライティング技法のこと。

よくわからない言葉もあるかもしれないが、あえてそのままを載せることにする。

僕が目指す未来や志、叶えたい理想の一端を文章から感じ取ってほしい。なお、読みやすくするために、見出しタイトルのみ後から付けさせていただいた。

僕の夢

僕の夢は同じ志をもった人たちと一緒に、日本中の、世界中のお役に立つことだ。

そのためには、スターコンセプトである『タイヨウ・ライティング』を徹底的に貫く。

「タイヨウ・ライティング」はいろいろな角度から解釈できる。僕は自分のスターコンセプトが大好きだ。

今回はこの「タイヨウ・ライティング」について徹底的に解説する。

キーワードは次の4つだ。

  • 「幼子の心」
  • 「身体」
  • 「ご縁」
  • 「笑」

これらを全て体現したとき、はじめて僕は自分の理念に沿って、ライターをしていると言っていい。

逆に言えば、いずれかひとつでも欠けていれば、それは「タイヨウ・ライティング」にはならない。

「幼子の心」

まずは、1つ目。「幼子の心」である。

幼子の心とは、読んで字のごとく、そのままの心、素直な心を大切にすべしということだ。

僕は幼子の心を忘れていた。

僕には子どもが3人いる。

みんなまだまだ世の中を知らない。

でも、世の中のこと以上に、彼女たちは生きていく上でとても必要なことを知っている。

それが、幼子の心だ。

「自分がこれやりたい!」と思えば、一目散に飛びつき、後先を考えずに始める。

「これおもしろそう!」と思ったら、それまでやっていたことをすぐにやめて新しいことに飛びつく。

飽きたらやめる。飽きるまでやる。楽しさを見つける。世界中がキラキラワクワクに満たされている。

この心をもって、僕はすべての仕事に臨みたい。否、仕事だけでなく、人生そのものをそうしたい。人生すべてを幼子の心で感じられたら、どうなるだろう。失敗も挫折も困難も、それだけですべて楽しいものに変わるのではないだろうか。

毎日が遠足の前日のような気分になったらどうなるだろう。

毎日を使命に燃えて熱く生き、「今日一日が最高だった。死んでも悔いはない。」と思えたらどんなに幸せだろう。

自分の生き様を見て、共感し、同じ方向を向いている仲間がいたら、どんなに安心できるだろう。

「タイヨウ・ライティング」を体現するためには、リミッターを外さなければいけない。そのためには、現実思考ではいけない。現実なんて冷めたものに目を向けている暇はない。

生きていくのに必要なのは、いつだってワクワクドキドキする心である。

これさえあれば、いつ死んでも良い。

夜通し、パズルのピースをはめこむような毎日を実現する。

「身体」

次に、必要なのは「身体」である。

身体は神様からの借り物だ。

僕たちはみな、1人だけでは生きていない。生かされている。それは紛れもない事実だ。

だから、僕たちは理念を体現するとき、借り物である身体を大切に扱わなければならない。

自分の物ではない”借り物”だからだ。

足の指先・足裏から手の指先、頭のつま先に至るまで、僕たちは感謝しなければいけない。

「爪さん、ありがとう。」「まつげさん、ありがとう。」と一言一句毎日唱えよう。

そして、何より大切なのは、身体の一部を切り離してくれたお母さんへの感謝である。

あなたが生まれてきたのは、お母さんがいたからだ。

お父さんもいるが、この世で最初につながるのはお母さんだ。

人が恐怖し、死を決したときに、最後に出てくる言葉は「お母さん」だそうだ。

だからね、僕たちは自分の身体を、お母さんに親孝行をするような思いで扱わなければいけない。

手の肌をやさしくさすり、頭を撫で、筋肉を緩ませる。

「お母さん、ありがとうございます。」と心の内で何遍も何遍も唱えながら、「あぁ、自分は生かされているんだ。」と感じ取る。

身体があるから僕たちは表現できる。身体があるから思いを伝えられる。

身体を大切に生きること。これは僕がタイヨウ・ライティングを語る上で避けては通れないものだ。

「ご縁」

3つ目に必要なのは、「ご縁」だ。

僕は過去に道を間違えそうになったことがある。

物質的なものにとらわれて、ご縁を切って手放しそうになったことがある。

物質的な最たるものの例は、お金だ。

お金は人の心を惑わせる。それ自体には大した価値もないはずの、ただの紙切れだが、それでもお金にはある一定の価値がある。

でもね、ご縁があるからお金は集まる。ご縁のないところにお金は集まらない。

ご縁は目に見えない糸で確実に存在し、網の目のように広がっている。

当然、生きていればより太く強固につながる糸もあれば、反対に切れてなくなったように見えてしまう糸もある。

でも、それは誤りだ。

あくまで表面的な判断をしているだけに過ぎない。

僕たちはご縁は未来永劫つながっていることを感覚的に知っている。

でもね、どうしても目に見える部分だけを捉えるとそれがズレてしまう。

本当はずっとずっと時を越え、時空を超え、世界線を越えてすべてはつながっている。

だから、僕たちはご縁を大切にする必要がある。

ご縁なしでは、人というものは成り立たない。

ライターはひとりだけでは成立しない。人と交わってご縁が紡がれてこそ、ライターになれる。たった1人だけでライターをやっているなら、それはライターではない。

ライターをやっているつもりなのである。

僕は「ご縁」をもっとも大切にする。

時給でもなく、単価でもなければ、メリット・デメリットでもない。

「ご縁」をもっとも大切にし、肌で感じながら生きていく。

「笑」

最後に大切なのは、「笑」だ。

みんなは笑っているだろうか?

今心から笑えているだろうか?

人は、笑っているのを見ると安心する。

笑顔を見たら、警戒心を解いていると感じるだろう?あれと一緒だ。

どんなに志高くても、幼子の心があっても、壮大な夢があったとしても。

そこに笑いがなければ意味がないのである。

とにかく笑え。笑え。

笑いのある方の未来へ行け。選べ。選択せよ。宣言せよ。

今がおもしろくなくても笑うんだ。

そうしたらきっと、思ってもみなかった面白いことがやってくる。

笑いの力は偉大だ。それは経験があるだろう?

笑いを大切にするのは、道を示すのにもっとも重要なことだ。

と、ここまで自分が理念を示すために必要な4つの条件を書いた。

今一度振り返っておく。

  • 「幼子の心」
  • 「身体」
  • 「ご縁」
  • 「笑」

もう一度言う。このどれかひとつでも欠けていれば、そこには理念がない。

ただの見せかけの理念だ。

しかし、もし仮にこれらを体現できれば、いろいろなおもしろいことが起こる。

人からは好かれ、本当の仲間ができ、おもしろいくらい商談は盛り上がる。

収入もどんどんと上がっていき、家族はよろこび、妻も子どもたちもみなが喜びの舞を踊るだろう。

クライアントはもはや仲間以上となり、同じ目的を達成するための同志となる。

同志と自分とは一体だ。だから、変に気遣う必要もなければ、忖度・遠慮する必要もない。

僕たちは、ひとつの未来に向かって、同じ未来を成し遂げるための同志だ。

だから、もう何も遠慮はいらない。もっと頼って良い。どんどん頼れ。

すると、不思議なことに面白いことが生まれてくる。弱みもどんどん見せて良い。

そうすれば、きっと助けてくれて、さらに大きな価値あるものができるだろう。

じゃあ、このタイヨウ・ライティングが生まれたとき、世の中はいったいどうなるのだろうか?

きっと、その人個人の良さをもった、独特の輝きを放つ人たちが増えて、世の中の暗かった部分をどんどん照らしていくだろう。

すると、もう誰も悲しい人はいなくなる。

誰も苦しむ人はいない。戦争が起きることもなければ、食料争いになることもない。

僕たちは自由だ。真の自由になれると信じている。

「タイヨウ」

僕には夢がある。

僕は、その人がその人らしい輝きを放てるように、光るためのお手伝いをしたい。

無数の星のように、みな心には太陽のような光を持っている。僕はそれを「タイヨウ」と呼ぶ。

タイヨウは人の心に必ずある。例外はない。悪人でも大罪人でも誰でも持っている。必ずある。

僕はその人たちの中にある真価を見出し、それが光るようなお手伝いをしたい。

光る個性とは何か。

それはその人には、もはや隠しきれない”何か”である。

どうしてもその人らしくなってしまう”らしさ”である。

僕は人の良いところを見つけるのが得意だ。だからきっと力になれると思う。

あなたの心の内にある「タイヨウ」はいつだって輝いている。

あとは、その扉を開けるのかどうかだ。

扉は一人だけだと開かずに、びくともしないかもしれない。

取っ手を引いても押してもピクリとも動かないかもしれない。

僕はその扉が引き戸であることを伝えたい。

そこには、何もなく、ただただ引き戸があるだけである。

その人は自分が引き戸だと気づいただけで、扉を開き、タイヨウで勝手に世の中を明るく照らすことができる。

文章であれば詩になり、のどを震わせれば歌になり、表情にすれば、笑顔になるだろう。

それがあなただけの、世界でたったひとりだけのあなたの個性そのものである。

あなたの強みそのものである。

僕はそれを一緒に時間をかけながらゆっくりと見つけていきたい。

すぐでなくてもいい。

急ぐ理由はない。

生まれ変わりも数えれば、人生はまだまだ始まったばかりなのだから。

もしも

もし、世界中の人たちがそんな風に気づいたらどうなるだろう?

そこにはきっとステキな世界が広がっている。

輝きに満ちた世界が広がっている。

争いのない平和な世界が広がっている。

そんな世界を一緒に作れる同志と一緒に、僕は食卓を囲みたい。

おいしいおいしい、光のご飯を食べて、僕は生きていきたい。

挫けそうになったときは

でも、実際に現実面において、さまざまな困難は壁となってあなたの前に立ちふさがるだろう。

きっとくじけそうになって挫折しそうになるかもしれない。

そんなときのために、あなただけのオンリーワンの対処法をここに記しておく。

ちなみに、これは中本晃太郎の言葉ではない。

変性意識とつながった神からの啓示だ。

まずは、場を整えること。

だいちゃんでもなく、とよぴーでもなく、誰かに頼るわけではない。ライティングギャラクシーという場を借りることだ。

場の力は偉大だ。

1対1よりも遥かに強く、莫大なエネルギーを生み出すことができる。

それは宇宙から受けるエネルギー波動の受け皿だ。

だから、日ごろからそこの受け皿がしっかりと受け取れるように、皿を磨かなければならない。

皿を磨くとは、そのコミュニティに感謝することだ。言葉に出してもいい。何かみんなが喜ぶようなことをしたら良い。見返りはいらない。

困っている人がいたら助けてあげよう。話を聞こう。そこに金銭を要求すべきではない。

目の前に困っている人がいたら、手を差し伸べる。それだけでいい。

気の利いたセリフなんていらない。ただただ等身大で在ろう。

その方が相手も先入観なく、構えることもなく、本音を話してくれるだろう。

そして、次に、必要なのは、自分の身体を労わることだ。

今まで自分の身体を大切にすることをまったく意識できていなかったのではないか?

身体は借り物である。

借り物はいずれ返さなければいけない。いつ返すのか?それは、自分が今世での役目を終えたときだ。

そのときに、「今世は良い人生でした」と言えるようになろう。

どうすればそう言えるようになるか?

それは非常に簡単である。

「気づくこと」だ。

何に?と思うかもしれない。

それは、今が幸せであることに、だ。

たくさん失敗して、生きて、くやしくて、泥水をすすって、惨めな思いをして、守れなくて、生きたくても生きられなくて、でも生きたくて。

そんな葛藤を抱えて生きていることこそが尊いのだと知ることだ。

それを知れば、今すぐにたったの1秒もかからずにハッピーになれる。

ハッピーになればこっちのものだ。

常にハッピーであれば、僕たちは生きていける。

最後に、お金の問題である。

お金はエネルギーである。

それは爆発的なものだ。

紙切れに心を揺さぶられてはいけない。

生きていくためには必要なものだが、理念なきお金はただの紙屑である。

たくさんのありがとうをもらえ。お金にならなくてももらえ。そうすれば、誰かが助けてくれる。

絶対にだ。例外はない。

とにかく天の蔵に貯金を積め。貯金を積めば積むほど、引き出したときの利息が生まれる。

あとは、「お金の真理」を読むと良い。あそこには真実が書いてある。

お金が足らない、お金がないというのはただの妄想だ。かならずある。

あなたは今までしてきた活動はなんだったのか?尊いものではなかったのか?

お金に変えられるような、そんな薄っぺらいものだったのか?

答えは否である。

もし十分に人助けをして、それでもお金が不足していると感じるのであれば、それはまだ変換される時期にないだけだ。

機を待て。焦るな。焦ってすぐに換金しようとするな。

そんなことをしなくても、神様は今の自分にとって一番必要なタイミングで、お金に変換してくれる。

大丈夫だ。自分を信じろ。

これまでの活動は間違っていなかっただろう?

お金のためにやってきたなんて1mmも思っていないだろう?

なら、それが本音だ。

夢を追うのかどうかが試されている。

単なる試練だ。試練は乗り越えられないものは出されない。

それを乗り越えるために、神様が適切な試練を出してくれる。

それに真摯に正面から応えよう。忘れそうになったら、最初に挙げた4つの条件を思い出そう。

それができたら大丈夫だ。

あなたはすぐに億万長者になれる。

タイヨウ・ライティングとは

話をまとめる。

「タイヨウ・ライティング」は、「幼子の心」「身体」「ご縁」「笑」の4つを体得した先にあるものだと。

これは毎回読むようにすると良い。

その先には、家族の、クライアントの、おじいちゃんおばあちゃんの、孫たちの、そしてなにより自分自身のしあわせがそこにある。